こんばんは。

上板橋の学習塾、久賀塾の久保田です。

5月3日に無事元気な女の子が産まれました。

さて、出産はとっても大変でした。

とんでもなく痛くて、なんだか孤独で、とても不安で。

コロナ禍だったこともあり、立ち合い出産のたった15分間以外はずっと1人きりの闘いでした。

赤ちゃんの顔を見るまで、人間が産まれてくるのだという実感はありませんでした。

産まれた瞬間のことは1枚薄いモヤがかかったように、でもはっきりと覚えています。

夫の山賀が感染対策の術着を着て分娩室に来たこと。

助産師さんに「もう髪の毛見えてますよ!」と言われ、「なんの!?」と思うくらいテンパっていたこと。

夫が泣いているところを初めて見たこと。

後に病院の面会室で、夫は

「本当に頑張っている人にはなんの声もかけられないんだね」

と言っていました。

赤ちゃんの泣き声が聞こえた瞬間、どうにも胸がいっぱいになって泣いてしまった、とも。

本当にいろんなことが起きて、今でもまだ頭の整理がついていないような、そして一生絶対に忘れられない体験でした。

あまりに大切な思い出なので、それは書かずに秘めておくことにします。

さて、タイトルにした「後光が差した」ときのことです。

それは出産のその瞬間ではなくて、退院する日のことでした。

病院は体力回復のために、入院中ずっと赤ちゃんを新生児室というところで預かっていてくれました。

3時間おきのミルク以外は、赤ちゃんに触ることはほとんどありません。

なんだか暇を持て余してしまうような入院生活を5日間過ごし、退院直前の健康チェックを母子ともにクリア。

GW明けだったのでお会計に2時間半かかり…いろんな手続き、荷造り、検査を経てようやく退院の運びとなりました。

赤ちゃんは2300g、平均より少し小さめです。

「壊れてしまいそう」というのは新生児のためにある言葉なんだと思いました。

まだ自分に子どもがいるなんて信じられないような気持ちで、病院のロゴが入った肌着から、初めて赤ちゃんを着替えさせました。

用意していたドレスは信じられないくらいブカブカで、まるで服の中で泳いでいるようでした。

これまた大きすぎるおくるみに赤ちゃんを包んで、夫の山賀と合流。

入院中はガラス越しに見ることしかできなかった赤ちゃんに、夫も初めて触りました。

エレベーターを降りて病院の玄関へ向かうとき、私は自分たちから後光が差しているような気がしました。

絶対に壊してはいけない、小さくて大切であたたかいものを両手に抱えている私たちの周りが、なんだか光っているように思えました。

実際は、分厚いおくるみに埋もれるような新生児を抱えた大人が2人、宝石を運ぶボディガードのようになってめちゃくちゃゆっくり歩いていただけなんですけどね。

全ての人間に等しくあるものは、死んでしまうことだけだと思っていました。

でも、産まれてきたことも、最初はこんなに小さかったことも、みんなに等しくあるんですね。

そして、こんなに小さい命が歩いて喋って笑って勉強するようになるまで、途方もない保護者の努力が必要なんですね。

ああ、保護者って、本当に「保護」する人のことなんだな、今書いていてふと気づきました。

育児が大変というのは本当で、今はちょっと寝不足のまま四六時中オムツを変えてはミルクをあげては抱っこしては…を繰り返していますが、とっても楽しくてとっても幸せです。

こんな日々があることを、そのカケラだけでも、塾生に伝えてあげたいな、と復帰を楽しみにしている久保田でした。

おや、我が子が小さな恐竜のように泣いています。

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